第1回委員長記
「子どもたちに何を伝えて行けばよいのでしょう?」
◎NPO法人格取得
2001年12月末、県庁からのNPO法人格認証の知らせを受け、認証から二週間以内に登記を完了しなければならない・・・ということで、慌てて可部の法務局に行きました。
「所在地はどこですか?」と尋ねられたので、「可部です・・・」と答えると、「ここでは、山形郡の登記の申請しか受け付けられません。可部は市内なので、市内の法務局へ言ってください・・」と言われびっくり!「じゃぁなんで可部に法務局があるのよ?」
それでも、せめて申請用紙や、手続きについての説明だけでも聞かせてください、とお願いしたところ、用紙と説明のひな型(書類への書き込み方などの見本)を渡してくれたのですが、「申し訳ありませんが、市内はすべてコンピューターで対応するようになっているのですが、こちらはまだその準備ができていないので、用紙はあるのですが、書式その他の説明が十分できません・・・」とのこと。「なんじゃそりゃ!?」
明けて2002年1月4日、一人では不安なので、新年早々事務局のFさんと、Uさんに頼んで市内の法務局へ一緒に行ってもらい、説明を受けることにしました。
窓口では、「まだNPO申請のひな型がないので・・・」ということで、会社の設立登記のひな型に書き込みをしてもらいながら説明を受け、「3人で聞いたんだから大丈夫だよね・・・」と可部に戻り、週明けまでに必要な書類を二人に用意してもらい、1月9日、再度法務局へ・・・。
前回とは違う人が窓口で対応され、4日の説明とは違うことを言われ、書類の不備、ということで再度チャレンジ・・・。
県庁への認証申請の時も数え切れないくらい通って、やっと申請受理されたので、一回くらいではさすがに驚かない。
けれど、個人的な事情で、1月11日に、手術のため入院を控えていた私としては、とにかく10日に終わらせなくては、安心して入院できない・・・
翌日、午前中に再度法務局へ。
またまた違う人が窓口で対応され、またまた書類の不備を指摘される・・・「エーッ昨日はそんなこと言わなかったじゃない!!」さすがの私も少々頭にきたが、気を取り直して、急いで可部に戻り、Uさんに書類をそろえてもらい、今度は二人で午後から再び市内へ・・・今度はしっかり名前を覚えていたので、午前中に対応してもらった人に書類を提出する。
すると、おもむろに取り出してきたのは、NPO法人登記についてのひな型、「そんなの、今まで見せてくれてなかったじゃない!」憤懣やるかたないUさんをなだめながら、やっとの思いで登記手続き完了。
今回の騒動で、いかにNPO法人がいまだに認知されていないのか・・・ということを思い知らされた2週間でした。
◎NPO法人になって良かった!
ドタバタと、登記の手続きを済ませ、あとのことは、事務局や副委員長にまかせて、私は約2週間の入院生活に突入。
しかし、入院直前にビッグニュース!
1月から、それまでのバイトがなくなり無職になる・・・というUさんに、緊急雇用対策の一環として、県のNPOセンターが派遣職員を募集している、というので、「他のバイトよりきっとおもしろいから応募してみたら?」と、勧めていたところ、なんと、その派遣先『子どもネットワーク可部』に決定!
これで、7月までの6ヶ月間は、確実に事務所が開けられる。それも、人件費はすべて県が支払ってくれる。
やっぱり、NPO法人格を取る意味があったね!
こうして、2002年の幕開けはうれしいニュースで始まったのです。
◎これからの課題
さあ、本当の意味での新しい出発です!
ここで、もう一度「NPOって何?」という原点に戻ってみましょう。
現在広島県には、88のNPO法人があります。そして、その一つ一つが、その会のミッション(目的・使命)に基づいて活動をしています。活動の内容は多岐に渡り、福祉や介護についての団体や、地域の史跡を守るための団体、サッカーの進行を図ろうとする団体などのそのミッションは、さまざまですが、一番大切なことは、その活動によって利益を受ける対象(クライアント)は、会員ではないということです。
わたしは、以前参加した講習会で講師の方が言われた言葉を、今もはっきりと覚えています。
「行政は、多数の利益を優先する。また企業は、その事業によって得られる利益を優先する。しかし、私たちNPOは行政の手の届かない、そして企業が手をつけない弱者や、営利の対象とならないところへ手を差し伸べるのです。」
そしてもう一つ残っている言葉は、
「NPOを支える大きな力は、会員のボランティアですが、そのNPOが本当に活動を拡大し充実させていくためには、有償で会の活動を支える職員の充実が欠かせない。」ということです。
☆有償の職員を充実させる・・・ということは実際にはどういうことでしょうか?
言うまでもなく、私たちの活動は、会員のみなさんの会費によって成り立っています。
また、さまざまな事業の運営は、会員のボランティアによって支えられています。しかし、対外的な交渉や、経理を含むさまざまな事務処理については、やはり専門性が必要になってきます。
また、会員はあくまでも流動的です。
いくら思いが強くても、それぞれの家庭の事情などで、活動できなくなる・・・といったことも考えられます。けれど、それを責めることはできません。なぜなら、あくまでも会員はボランティアの立場で協力しているのですから。だからこそ、仕事として活動を支える人材の育成が必要になってくるのです。
そのための経費を賄うためにも、基礎会費の充実が必要になってきます。
☆ミッション・クライアントを明確に・・・
先に述べたように、一つ一つのNPOがそれぞれのミッションのもとで活動しています。
私たちの活動のミッションは何でしょうか?それは、言うまでもなく、『子どもたちの豊かな育ち』です。そして、クライアントは『子ども』です。
けれども大切なことは、この『子ども』というのが、あくまでも『私の子ども』ではなく『すべての子どもたち』なのだということです。
一人一人の子どもたちが、その人格を尊重され、それぞれが当たり前に持っている権利を、私たち大人がしっかり認識しながら、それを子どもたちに伝えていくことが大切なのです。
NPO法人格を取得した、ということは、私たちがこの会の活動を通じて、このミッションに基づきながら、どのようなことを伝えることができるのか?ということを、社会的に問われていくということでもあるのです。
◎CAPについて
昨年春から今年にかけて、日本財団の助成事業として、私たちはCAPの「子どもワークショップ」「大人対象の講演会」を地域で行ってきました。
「人は、生まれたときから『安心』して『自由』に『自信』を持って生きる権利があるんだよ!」「この権利は、何かをしなければならない(義務)と引き替えに与えられるものではないんだよ!」ということを、一人でも多くの子どもたちに、またその子どもたちを取り巻く大人たちに伝えていこう・・・というのが、CAPの主旨です。
しつけの名のもとに行われる児童虐待や、教育という名目での体罰など、子どもたちの権利は決して守られているとは言えません。
平和で豊かな生活を送っている・・・と思われている私たちの国の、これが現実です。
本来は子どもに関わるすべての大人たちが、CAPの講演会に参加して、このことを真剣に考えて欲しいのですが、現実には「権利権利と、大人が子どもを甘やかすから、子どもが悪くなる・・・」という考え方や、CAPの一面だけを見て、「うちの子は、いじめには無縁だから必要ない…」という間違った認識の大人が多いというのが現実です。
『すべての子どもたちの豊かな育ち』をミッションに掲げている私たちの活動にとって、『子どもの権利』について考えていくことは決して避けて通れない必要不可欠なことではないでしょうか?
◎平和について
2001年9月、アメリカで起きたテロ事件またその後の報復措置による爆撃それにともなう自衛隊の派遣・・・全世界が改めて平和の意味を問い直すことになりました。
『安心』して『自由』に『自信』を持って生きていけるはずの子どもたちにとっても、このことは対岸の火事ではすまされません。
もちろん、テロは決して許される行為ではありませんが、その後の爆撃によって傷つきまた親を失ったたくさんの子どもたちのことを忘れてはならないと思います。
「人はなぜ戦争をするの?」「正義のための戦争が本当に存在するの?」
子どもたちの問いかけに、私たち大人はどう答えて行けばよいのでしょうか?
第二次世界大戦以後、日本は憲法第九条によって、平和を維持してきました。このあたりまえの幸せを、世界の多くの子どもたちが何故受けられないのか?
まもなく戦後60年近くになる日本では、私たち大人も含めてほとんどが「戦争を知らない子どもたち」です。
それに対して、アフガニスタンを含め内戦で苦しむ多くの地域の子どもたちは、「戦争しか知らない子どもたち」という言葉で表現されます。
しかし、今度戦争が起こったら、実際に戦地に行って、命を落とすのは、誰でもない、私たちの子どもたちなのです。
唯一の被爆国である日本が、また広島に住む我々大人たちが、子どもたちに伝えて行かなければならないことは、きっとたくさんあるはずです。
◎ワールドカップ
まもなく、サッカーのワールドカップが、日韓共同という形で開催されます。「不幸な歴史を乗り越えて新しい友好の時代の幕開け・・・」さまざまなメディアがそう呼びかけています。
けれども、その不幸な歴史について、子どもたちは本当に事実を学んでいるのでしょうか?
未だに南北に分断されたお隣の国の歴史について、子どもたちは正しい知識を与えられているのでしょうか?
今、高校一年生の次男が、ホームルームで、日本と韓国・朝鮮の問題について学習しています。『なぜ、日本に朝鮮人学校があるのだろうか?』という問いかけに、『朝鮮の人がたくさんいるから・・・』と答える生徒がいる・・・という話を息子から聞いて、本当に驚きました。『なぜ、日本にたくさんの在日韓国人や在日朝鮮人の人達(現在は総称してコリアと呼んでいます。)がいるのか?』という歴史の大切な部分を今の子どもたちは学習することができないのです。
幸い(本来は当たり前の話ですが・・・)次男は、ホームルームでそのことを考える機会に恵まれました。けれどもほとんどの子どもたちが、いいえ、私たちと同世代の大人たちも、正しい歴史の認識がないまま=学習する機会を与えられないまま、成長してきたのです。
私たちは、この会の活動を通じて、何年も前から、平和について子どもたちに何を伝えて行けばよいのか・・・と言うことを考えてきました。そのために、被爆の語り部の方のお話を聞く機会を設けたり、在日朝鮮人の被爆者のお話を伺ったり、中国人の強制労働の跡を尋ねる学習会を行ったりしてきました。
また、観賞を通じて平和を考えよう・・・と、『月光の夏』『ベトナムのダーちゃん』『月桃の花』など、戦争を取り上げた数々の映画の自主上映会にも取り組んできました。
昨年末、ネットワーク”空”の高校生が、全国の中高生達と『沖縄』での交流会や学習会に参加し、沖縄の歴史や基地の問題についても学習してきました。
今の子どもたちから未来の子どもたちへ、何を伝えて行くべきか、一緒に考えていくことは、私たち大人への大きな課題だと思います。
◎余暇の権利
さて、このように私たちの活動を考えていくときに、決して避けて通れないのが、『子どもたちの権利』についてです。
1989年に、国連総会によって採択され、日本は1994年に批准した、『子どもの権利条約』では、世界中のすべての子どもたちが平等に受けるべき権利について定義しています。
教育の権利から、もちろんすべての虐待からの保護、武力紛争下での保護や難民である子どもの保護・援助、子どもたちの意見表明権など、全54条にわたるその条文のひとつに、
第31条【休息・余暇・遊び・レクリエーション活動の権利および文化的・芸術的生活への参加権】
1 締約国は、子どもへの休息および余暇に対する権利、その年齢に適した遊びおよびレクリエーション活動を行う権利ならびに文化的および芸術的活動に自由に参加する権利を認める。
2 締約国は、子どもが文化的および芸術的生活に十分に参加する権利を尊重し、かつ促進し、ならびに文化、芸術、レクリエーションおよび余暇に関する活動のための適切かつ平等な機会の提供を奨励しなければならない。
さて、振り返ってみたとき、今、日本の子どもたちは、この権利をしっかり与えられているでしょうか?
確かに2002年4月からは、完全週休2日制が施行され、形の上では子どもたちが学校から解放される時間が多くなったように思われます。しかし、実際の教育の現場では、授業時間数が減少したことを理由に、様々な行事が姿を消しているのです。
昨年、ネットワーク”空”の子どもたちが、「だれが石を投げたのか?」の自主上演を企画したときに、それまでの「可部おやこ劇場」の会員以外の実行委員の子どもたちに、「今までに、生の舞台や芝居を見た経験がある人・・・?」と問いかけたところ、そのほとんどがまったく経験がない、という答えに会員の子どもたちが本当に驚いていました。
そして、上演終了後、一番感動していたのは、その実行委員の子どもたちだったのです。
会員の子どもたちは、ほとんどが小さいころから生の舞台に触れ、また定期的に観賞することが当たり前の生活を中高生になるまで送ってきたのに対して、それ以外の子どもたちには、そういった機会が与えられていなかったのです。
私が、小学校・中学校時代を振り返ったとき、大阪といういわゆる都会に住んでいた・・・という事情もあるかもしれませんが、少なくとも年に一度は、地元の本格的な人形劇団の人形劇(クラルテさんは印象的でした)や、子供むけの芝居(関西芸術座が多かったかな・・・)を観賞する機会が、各学校で設けられていました。
けれども、現在の各小中学校では、予算の問題も含め、子どもたちに生の舞台を観賞する機会を積極的に設けている学校は少ないのが実情です。
また、そういう機会を設けている学校でも、担当の先生方が、山のように送られてくる様々な劇団(中には怪しげな団体もたくさんあるのです・・・)の中から、これなら大丈夫・・・と自信をもって取り上げることの難しさを感じていらっしゃるのです。そんな中で、本当に質の高い作品や劇団を取り上げているかというと、内容よりも、予算とにらめっこをしながら・・・というところの方が多数を占めています。
そんな現状で、子どもたちが、文化的および芸術的生活に十分に参加していると言えるのでしょうか?
子どもたちの心を豊かに育てる・・・ということは、まず私たち大人の心が豊かでなければならないと思います。
これまで、文明の発達にともない、物質の豊かさのみを追い求めてきた大人たち・・・物質によって与えられる満足感は、決して満たされることはないのだということを、そろそろ気付いても良いころではないでしょうか。
私自身の子育てを振り返ってみたとき、忙しい毎日だからこそ、年に数回、子どもと一緒に生の舞台を観賞する時間を大切にしてきて本当に良かった・・・と、心から思います。
一つの作品を通じて、面と向かってはなんとなく恥ずかしくて語れない人生について語ったり、舞台の上の人物に自分たちを置き換えて、いじめや様々な差別について話し合うこともできました。
長男が思春期に入り、他聞にもれず、無口になったある日、舞台を見ながら大声で笑っている姿を見た私が「君のあの笑顔が見られただけで、私はとても幸せな気持ちになれるよ。だからそのために払うお金はちっとも高いと思わない。」と言うと、「ふーん・・・そんなものかな」と答えながら、満更でもない顔をしていたのが、今でも忘れられません。
子どもたちの世界は、大人の世界の鏡です。
子どもたちが、彼らの権利である余暇を真に満喫するためには、私たち大人が立ち止まってゆっくり回りを見渡す心のゆとりを持つことが大切なのではないでしょうか?
そのとき初めて、今、大人以上に忙しく時間に追われている子どもたちの、心の内側をのぞくことができるのだと思います。
特定非営利活動法人子どもネットワーク可部 発足