☆悔悟の記録〜ある憲兵の物語る☆
特定非営利活動法人子どもネットワーク可部第8回鑑賞事業



『月光の夏』『ベトナムのダーちゃん』『月桃の花』などの映画上映会。“被爆の語り部のお話を聞く会”“中国人強制連行の足跡を尋ねる会”など
これまで私たちは、戦争について、平和について子どもたちと一緒に考えてきました。
今だからこそ、大人として、子どもたちに伝えておかなければいけないことがある・・・
あなたはそうは思いませんか?


……あれは入営2ヶ月頃のことだったかな。〈度胸をつける教育〉と言ってね。農民姿の中国人を刺し殺すことになったんだ。『今度はお前が突き殺せ!』って上官が言うんだ。
『もしオレがやらなかったらみんなに何と言われるか』と思ってね、大きな声をあげて突っ込んでいったんだ。中国人への感情?当時は何もないですよ。命令に服従するだけで、うまくやって殺すこと以外何も思っていないですよ、人の首を切らないと一人前にならない時代だったんだよ。
そしてね、だんだんに手柄を立てたいという気持ちになってね、次々と殺すようになったんだ。直接・間接に328人も殺してしまってね。
それに、捕まえて拷問にかけた人間は1917人にもなったかな。……虫一匹殺してもバチがあたると思っていたこのオレがね…。(『悔悟の記録』脚本より)


日 程:2003年5月18日(日)
時 間:19:00開演(18:30開場) 上演時間1時間
会 場:可部学区集会所(旧道・折れ目 元NTT向かい側)
参加費:大人(会員・会員外共)2,500円 高校生以下1,500円 
★但し、第1部・第2部両方を鑑賞される場合は、大人に限り500円割引になります。
託 児:要申し込み・託児料300円



<作品について>
―ごあいさつ―  劇団なんじゃもんじゃ 西尾瞬三



戦後50年の春、ある憲兵の記録(朝日文庫)に出会いました。生々しい土屋さんの体験に体が震え、さっそく山形県上山市の土屋芳雄さんを訪ねお話をうかがいました。あの時代の生き証人として平和を語る土屋さんの目は厳しく私に突き刺さってきました。
土屋さんは『だんだん体がいうことを利かなくなった。あと何年かすれば仲間たちはこの世から消えてしまう。本当のことを語る人間が少ないんだ…俺のかわりに語ってくれ』そう言っておびただしい資料をくださいました。

 《土屋さんのことを芝居に出来るのはふじた先生しかいない。》そう思ってお願いしたところ、先生は快く脚本演出を引き受けて下さいました。
土屋さんは脚本を読んで『私自身の真実の一つ一つに腸をえぐられるような思いで読み返しました……一人でも多くの人に侵略の罪業の歴史を伝えねば』と手紙を下さいました。

 あの時代『虫を殺してもバチが当たる』と殺生を嫌った多くの土屋さんが軍服を着て海を渡りました。
そして、いつの間にか『鬼』になって、中国で朝鮮でアジアで『人殺し』となってしまったのはそんなに昔のことではなく、50年と少し前のことです。
 96年の初演から6年が過ぎました。土屋さんから渡された悔悟のバトンの重みをひしひしと感じるこの頃です。
多くの方々にご覧になっていただいて、あの時代を一緒に考えたいと願っています。

☆公演終了しました!怒涛の一日が無事すみました。
翌日、「悔悟の記録」に参加してくれた女子高校生から以下のような感想が届きました。本人の了解を得て全文を掲載します。

「悔悟の記録」感想   16歳女子



 今日のひとり芝居を見終わった後,私は、まるで内田老人の罪を自分も背負ったような感覚に陥った。否、「陥っている」である。このような残虐な行為がされていたことはもちろん以前から知ってはいた。だが、人を殺した苦しみを知っていた訳ではなかった。しかし今回、初めてその苦しみがわかった気がする。

 確かに沢山の人の死の重さを私は感じたのだ。そして、それが本人の感じた分のほんの一部にも過ぎないこともわかっていた。だから、実際本人が感じたであろう罪の意識に、私は胸が締め付けられる思いだった。そして、疑問に思った。『はたして、この様な苦しみに耐えて、人は永い間いきていけるのだろうか?』と。想像もできない、きっと笑って幸せに生きていく事などできない。少なくとも私はそうだと思う。

 (芝居が始まって)最初の内は、内田老人が穏やかなのを見て、『良い人そうだ、人を殺したとは思えない』と、確かに感じた。でも、話が進むにつれて、『あぁこの人はやはり人を殺したのだ』と思ったのだ。それは別に、彼が「私はこの様な事をして、人を殺したのです。」と言ったからではない。彼の話す様子を見てそう感じたのだ。
 どう表現したら良いのだろうか、何か奇妙な違和感を覚えたのである。本人に会って話をした訳ではないから、私が言える事ではないのかもしれない。でも、そう感じたのは事実なのだ。そう、生気を感じないと言うか、何か別のものがその老人の皮を被って話をしているかの様に見えたのだ。それに、目が現実ではないもっと遠くの場所を見ているような感じがしたのだ。

 多分、内田はもう死んでいたのだ。日本に帰ってきた時は、確かに鬼から人に戻っていたのだろう。でも、人に戻ってしまった事で、彼は耐えられない程の罪の意識、罪の重さを感じたのではないだろうか。鬼であり続けていたならば、罪の意識など感じずに、例えそれがまやかしであったとしても、幸せに生きていけたのだろう。だが、人に戻ったなら、終わることの無い生き地獄に耐えなければいけなかったのだ。そうして内田は死んだのだ、きっと。あれは別人だった。わたしには、やはり、内田老人の中に鬼が見えた気がするのだ。

 戦争とは何であろうか。人がお互いを殺すのは何故なのだろうか。私は、何故?と自問をしてみるが、いつも答えは返ってこない。答えなど、あってはならないではないか。例え答えがあった所で、それは何の意味も無い。結局、殺し合いの後に残るのは、深い爪あとだけである。
 誰が加害者なのか?誰が被害者なのか?そんなものも存在しない。誰もが加害者であり、被害者なのである。
 内田は沢山の人々を殺した。だが同時に,自分のことも殺した。何も残らない。失うばかり。それなのに何故、人間は血塗られた道を歩むのだ。ただ分かる事は、私達は同じ事をしてはいけない、という事だけだ。そして、起こってしまった事を、全てきちんと知っておかねばならないという事である。
 
 今回驚いたのは、公演が終わった後で、「大丈夫だった?こんな残酷なこと、びっくりしたでしょ?」と言われたことである。
 多くの人が、日本が昔行った残虐な行為の事を知らない、と教えていただいた。私はてっきり、皆知っている事なのだとばかり思っていたので、驚きを隠せなかった。知っていて当然の事だろうに、何故知らない人がいるのだ、と。確かに、学校では『日本はこんな事をされた』としか教えて貰っていない。でも、本や人の話や、、その他イロイロな方法で、知ることは出来たはずなのだ。知る機会だって、広島に住んでいる人ならば、決して少ないわけではない。

 過去、自分達が行った行為を無視して、されたことばかり強調して被害者ぶるのはエゴだ。戦争をしたのなら、被害者だけでは終わらない。私達は「知らなかった、びっくりした。」などといってはいけないのである。私達は「被害者としての日本人」である事をやめなければいけないのだ。

 小学校の時は、年に1回戦争映画を見る日があった。そして、見た後には必ず感想文を書かされていた。だからだろうか、私は戦争について虐殺について,その他イロイロ人間の行ってきた残虐な行為について考える事が多かったように思う。何故、こんな事が起こったのか、何故,人間は殺し合いをしたのか、と。

 日本だって加害者である、と感じたのも、この頃からだったように思う。

 今まで、過去行われた残虐な行いについて知った時に、驚いたり怖かったりした記憶は無い。可哀想だと思うのも嫌いだ。それら三つの感情で、言い表すのが嫌いだったのだ。「怖かった」「驚いた」「可哀想だと思った」…そう言ってしまえば、一言で終わる事が出来る。それ以上考える事を簡単に辞める事が出来る。だから、私は嫌いなのだ。

 教育委員会が「刺激が強すぎる。リアルすぎる。」という理由で、この芝居への後援を断ったそうだが、馬鹿げている。本当の事を子どもに教えない方が罪だとは思わないのだろうか。リアルすぎるとは、どういう意味なのだ。事実だからリアルである事は当たり前だろう。何を恐れて子どもに目隠しをするのか。到底理解できない、考える機会を与えるべきである。そうしなければ、事実を知る場を失う事になる。ただでさえ、日本は過去に起こった自分に都合の悪い事実を無視し様としているのにそれに親が加勢してどうするのだ。

 考えなければならない事が沢山残った。私は、これからも沢山の事実を知って行きたいと思う。事実があるならば、知るのは当然だと思う。事実を知る。日本では、それがどうしてこんなにも難しいことなのだろうか。何故、もっと簡単に、自然に、知ることができないのだろうか。私にはそれが残念でならない。

悔悟の記録 感想 母
良い一日でした。
『悔悟の記録』は中学2年生の息子に鑑賞させるのは、覚悟がいりましたが、やはり見せてよかったです。
韓国との共催のワールドカップでの韓国の反日感情、小泉総理の靖国参拝に対する中国の嫌悪感などなどを、考えるきっかけになったと思います。

 インタビュアーの率直な質問はそのまま鑑賞者側の質問であり感想でもあったので、中学生の息子にはどちらの側に立つでもなく正義を振りかざして糾弾するような感情を持つ事も無く、本当に良い脚本だと思いました。台本を読んでただけでは、私の偏向感情もありますから、息子に鑑賞させることが怖くもあり、「賭けだな、これは・・」という感情もありました。加害者側も被害者なのだという『一生憲兵を引きずった人であった・・』という最後のせりふに、悔いの重さを感じました。

 鑑賞する事を散々拒んだ息子でしたが、(上演終了後)『母さん、500円!本買って来る!!』(*注:芝居の土台となった原作の本)という言葉に、中学生という時期に、また今の時代に、息子のこの芝居を鑑賞させる事のできためぐり合わせを感謝しました。

悔悟の記録上演に寄せて 男性(小4・小6の父)
 先の大戦より半世紀を悠に超える歳月を経て、我々の心からヒロシマ・ナガサキ・ヒバクシャ等等と言う記号化された事象と同様、最前線で従軍された市井の日本人達の記憶・事実・戦争の本質が、近代に本誌のひとこまとして埋没し、やがて忘れ去られようとしています。名も無き貧農の倅が、一旗挙げるのと、食い扶持を当てこみ、入隊しやがて頭角をあらわしてゆく様は正に往時の富国強兵・殖産政策そのものを個人として昇華させたという見方も出来るでしょう。
 あらん限りの暴虐非道を尽くし、命を屁とも感じる事無く。鬼畜か夜叉の世界を彷徨う日々に明け暮れた元憲兵の身に。敗戦と長く過酷な抑留生活が後々の余生を導き出す厳しい自己総括に繋がるのです。星の数ほど、殺していながら随分都合のいい自己総括ではないかと云う意見が出そうですが、小生は一寸違う視点で感じております。人は限り無く近づくものの、鬼に成り切れるものでは無いものだと思います。だがしかし、鬼畜の世界へ繁文以上、体が浸かったからには、真人間には決して還る事が出来ず、倫理の見地からも赦される事は無いと考えます。元憲兵による実に正確な記憶に基づいた問わず語りは、この世の者では伝えきれない迫力と悪寒をも感じる冷たさに満ちていました。
 感激の後に、思い偏頭痛が襲ってきました。併せて様々な想いが小生の凡頭を駆け巡り、其の夜は寝つきが最悪でした。子ども達は少しでも、魂で感じて呉れたであろうか?戦争の悲惨さを通じ、人の心が狂気に至る様はどう理解したのかと。
 今日も世界各地で、戦火が絶え間なく続いています。或る所では利権を巡る国境紛争という表現であったり、民族対立による内戦であったり、実に様々です。如何なる事由であれ、真っ先に犠牲となるのは、非戦闘要員である民間人なのです。
 我々は、大量殺戮兵器や抽象概念としての戦争は反対するものの、戦争へひた走る国家のシステム、マスコミを含めた意識の変革に対峙し、個人のベクトルより警鐘を発し続けてゆかねばならないと深く感じる次第であります。